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2011年2月4日 blog 0

もう小学三年生になりました

去年の7月の話になりますが、
この鍼灸院をオープンするにあたって求人誌に受付の募集をしたところ、
何と2日間で30人くらいの応募がありました。
N さんから電話をもらったのは、もう募集が終わってのことでした。

「すみません。もう受付の募集が終わってしまいまして・・・
またの機会があればよろしくお願いします」・・・
と丁寧にお断りした時のこと。

「あの~、もしかして大阪で鍼灸接骨院をされていた大村先生ですか?」
「そうですが・・・」
「あの時お世話になった、N です」
「あ~ぁ、N さん!! よく覚えていますよ」
「今どうしているの・・・」
「二人の息子に恵まれて、子育て真っ最中です」とのこと。

N さんは僕か大阪で不妊治療を専門に始めたころの患者さんです。
当時は鍼灸整骨院をやっていました。7年ほどやって、
上海に留学したんですけどね。それから、サンフランシスコへ。
この話は、また折を見てご紹介したいと思います。

へぇ~、息子さんもう小学三年生になるんだ。
あの頃は、鍼灸で不妊治療するところが少なかったということで、
関西一沿からたくさんの患者さんが、わざわざ来て下さったことを思い出します。
僕もまだまだ今のように患者さんの状態を診て、すぐにどんなツボを使って、
どんな手技で治療しようか手探り状態だったように思います。
今は、患者さんの状態を診て、ん~っ・・・ちょっと考えて、
「整いました!!」 という感じで、治療できるようになりましたけどね。
ですが、まだまだ勉強中です。

さて、N さんを治療するのが、これがまた大変だったんです。

to be continue

Omura


2011年2月2日 blog 0

鍼灸と推拿整体 1

当院では、鍼灸治療と並行して推拿整体も一緒にご案内しております。

どちらも、血流改善、体質改善効果があります。
特に、子宮・卵巣の血流改善を行うことによって、様々な効果があったとの報告を受けています。

1.卵巣機能を高め、卵胞が出やすなる。卵胞の数が増える。胚盤胞(5日培養)に残る確率が上がる。

2.子宮機能を高め、内膜を厚くして着床しやすくなる。

3.生理周期が正常に近づき、生理痛が軽減する。また、月経前症候群の症状が緩和する。

4.体質改善によって、喘息、アトピー、腰痛、肩こり等の症状も合わせて改善していく。

ただし、生理周期によって鍼灸優先、推拿整体優先と替わっていくので、
患者さんの生理周期によっては、まず推拿整体から勧めさせて頂く事もあります
また、男性不妊に対しても鍼灸と推拿整体を組み合わせる事によって、治療効果が上がっています
詳細を知りたい方、興味のある方は、当院ホームページの左側にある「お問い合わせフォーム」から
ご相談下さい。

後日、院長から返信させて頂きます。

という決まりきった業務連絡はさておき、じゃあ実際にどんなケースがあったのか?

を次回お話しますね。

田内


2011年1月30日 blog 0

私、タヒチに住んでました 7(災害編)

『ドン!ドン!ドン! 危ないぞ、早く逃げろ』

叩き起こされたのは確か1993年3月某日深夜1時頃だったでしょうか?
強風、荒波、ただならぬ気配でした。
前日に用意していた枕元の懐中電灯とパスポート等最小限の貴重品を握り締め、
まず、離れのキッチンを見に行くと、既に窓は壊れ床上浸水状態に。
慌てて、50m程の桟橋を歩いて陸まで逃げ出しました。
陸では、砂浜が舞い上がって砂嵐となり、まともに目が開けられない状態でした。

「サイクロン」がタヒチを直撃したのでした。

それから数日間、みんなで一番安全そうな場所を探しての避難生活が始まりました。
(海抜数mの島に安全な場所なんて存在しないですけどね)
とりあえず、陸に住んでいたタヒチアンの家に一時避難。
益々強風になり、不安ではありましたが、交代で仮眠をとるためウトウトしていると、
『バリバリバリ』『キャー!』『ドーン』
立て続けにものすごい音と悲鳴が・・・
なんと、リビングの壁が30°に傾き、トタン屋根が吹き飛んでいました
砂浜の砂が風にあおられて家の外壁に堆積し、
壁を押し倒した瞬間、風圧で屋根が持ち上げられたのでした。
家具が支えになって、30°で止まってくれましたが、
もし壁全体が倒れていたら、打ち所が悪いと死んでいたかも。

幸いにも怪我人はなかったので、全員で集合し、
また次の避難場所を探しに強風の中、外に出るはめに。
先程よりはまだ頑丈そうな家に避難させてもらい、当然、眠れない夜になりました。
翌朝、風が徐々に弱まったので、気になっていた自宅を見に行くと、既に倒壊寸前に・・・
「やっぱり避難して良かった」と思った瞬間、
高潮の力で土台だけを残し家がまるごとプカプカ浮き上がったのでした。
改めて、大自然のすごさを目の当たりにしました。
そして、1時間かけて砂浜の海岸まで打ち上がっては戻りながら崩壊して行きました。

昼頃になると、風はかなり収まりこれで生き延びれると安堵しました。
そして、家が倒壊した辺りの砂浜を見てみると日本食の備品が散在していました。
ほとんどは、使い物にならなかったのですが、その中に永谷園のお茶づけを発見!!
当然ヨレヨレになっており、これもダメかと思いつつ一個開封すると・・・
なんと半日以上波に揉まれながらも中身は大丈夫だったんですよ。
さすが、メイドインジャパン、感動しました。

後に話を聞くと、普段来ないサイクロンが、10年に1回、
異常気象(エルニーニョ現象)の影響で進路をかえるため、直撃するらしいのです。
不運にもそれに遭遇してしまったのでした。
前夜、地元ラジオから情報を得ていたので、避難準備はしていましたが、
さて、どこに逃げるの?という環境なので、
(昔はヤシの木に子供をくくりつけて難を逃れたという逸話があるそうです)
「状況を見て判断しよう」となり、部屋で寝ていたらこんな目に・・・
以来、海上生活には終止符を打ち、陸上での生活に変わりました。
(まだ早死にしたくなかったので)
この時、巨大マンタの写真も海へと消えていきました。
大自然は真珠という恩恵も与えてくれるし、逆に、試練も与えてくれるのですね。
施設は壊れましたが、幸いにも真珠貝に被害は少なく、
1ヵ月後、奇跡的に仕事再開を果たしました。

田内

写真1:昔住んでいた海上生活はこんな感じ。

写真2:避難先の住居はこんな感じ。外壁はベニヤ、屋根はトタン。

写真3、4:災害後でも、常に明るい村の子供達。


2011年1月29日 blog 0

ヒロインになって女性ホルモン分泌促進 !!!

当院のちょっとした心遣いの中に、
「癒しの音楽」を流すように心掛けています。
毎週1枚のCDを流しっぱなしにしているだけなのですが、
いろんなジャンルの音楽を楽しんでいたたきたいと思っています。
クラシック、ジャズ、ポピュラー、Jポップのオルゴール…など。
さすがにロックはかけられませんね。

今日はバイオリニストの高嶋ちさこさんの「Aria」というアルバム。
ジブリの曲やルパン三世の曲などさまざま。
ふと耳にとまった名曲「ひまわり」。
患者さんに、「この曲しってますか?」・・・と何人かに訪ねたのですが、
ほとんどの人が知りませんでした。随分と昔の曲ですからね。

そこで、映画のうんちくをちょっと披露。
ご存知の方も多いとは思いますが、
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニの悲哀ストーリー。
これまた、涙なしでは語れません。
音楽はヘンリー・マンシーニ。
「ひまわり」見たこと無かったら、
一度、ご主人とDVDレンタルしてみては・・・と、
これまた強引におすすめ。

・・・というのも、この名作、女性にとって、
ひまわりを見て涙せずにはいられないと思うから。
いつの間にやらヒロインのソフィア・ローレンなって、
渇いた涙腺をうるおすと、女性ホルモンの分泌が盛んになるのですぞ。

いい卵胞にはエストロジェンが必須ですね。
ヒロインになって、女性ホルモンの分泌促進させて、
めざせ、グレードのいい卵胞を!!!
マジ~と思っている人、一度、低温期に「ひまわり」を
ご覧になってみてはいかがですか?

いい卵胞ができた人は良かったら、ご報告いただけますか。

Omura


2011年1月27日 blog 0

私、タヒチに住んでました 6(愛すべき動物達編)

約10年程のタヒチ生活では、様々な動物達と触れ合ってきました。
今回は、その動物達の一部をご紹介します。

1.マンタ(オニトマキエイ)
写真1は、内海(ラグーン)に餌を求めて入り込んできたマンタ。
まだ子供サイズで両翼約1m位でしょうか?

その昔は、両翼2m以上のマンタの片方の角?がイカダ周辺のロープに絡んでいたのを
小さなボートで救出したこともありました。
ボートに引き上げる時、重すぎてあやうく転覆しかけました。
その時、記念にマンタの口に手を入れさせてもらいました。
写真がないのが残念ですが・・・。
(全国のダイバーの皆さんごめんなさい)
勿論、そのあとは無事に海へと戻した事を忘れず報告しておきます。

2.ウミガメ
写真は、ウミガメもよくラグーンに入り込んでいましたので、
時々、ロープに絡んでいたところを救出しました。
写真2はタイマイ、写真3はアカウミガメだと思います。
どちらも保護動物なんで、勿論、海へ戻してあげました。

3.ナポレオン(メガネモチノウオ)
写真4は、パス(水路)でタヒチアンが釣り上げたナポレオンフィシュ。
頭においている私のゾウリから計算すると、体長1mくらいの大きさでした。
このあと、彼らの胃袋へと導かれてました。
(全国のダイバーの皆さん、私は食べておりませんので)

4.豚
写真5は食用で放飼いになっていた豚。
各家の残飯が彼のご馳走のようでした。
愛着が出過ぎると食べれなくなるのは、万国共通でしたね。

5.ヒヨコ
放飼いの鶏が各所にいました。
親の後を数十尾のヒヨコがあとをついて歩いてました。
一番鈍くさそうなのを捕まえて、写真6をパチリ。

まだまだ、いろんな写真があったのですが、ある出来事をきっかけに、
無くなってしまいました。
次回はその話を・・・。

田内


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