『ドン!ドン!ドン! 危ないぞ、早く逃げろ』

叩き起こされたのは確か1993年3月某日深夜1時頃だったでしょうか?
強風、荒波、ただならぬ気配でした。
前日に用意していた枕元の懐中電灯とパスポート等最小限の貴重品を握り締め、
まず、離れのキッチンを見に行くと、既に窓は壊れ床上浸水状態に。
慌てて、50m程の桟橋を歩いて陸まで逃げ出しました。
陸では、砂浜が舞い上がって砂嵐となり、まともに目が開けられない状態でした。

「サイクロン」がタヒチを直撃したのでした。

それから数日間、みんなで一番安全そうな場所を探しての避難生活が始まりました。
(海抜数mの島に安全な場所なんて存在しないですけどね)
とりあえず、陸に住んでいたタヒチアンの家に一時避難。
益々強風になり、不安ではありましたが、交代で仮眠をとるためウトウトしていると、
『バリバリバリ』『キャー!』『ドーン』
立て続けにものすごい音と悲鳴が・・・
なんと、リビングの壁が30°に傾き、トタン屋根が吹き飛んでいました
砂浜の砂が風にあおられて家の外壁に堆積し、
壁を押し倒した瞬間、風圧で屋根が持ち上げられたのでした。
家具が支えになって、30°で止まってくれましたが、
もし壁全体が倒れていたら、打ち所が悪いと死んでいたかも。

幸いにも怪我人はなかったので、全員で集合し、
また次の避難場所を探しに強風の中、外に出るはめに。
先程よりはまだ頑丈そうな家に避難させてもらい、当然、眠れない夜になりました。
翌朝、風が徐々に弱まったので、気になっていた自宅を見に行くと、既に倒壊寸前に・・・
「やっぱり避難して良かった」と思った瞬間、
高潮の力で土台だけを残し家がまるごとプカプカ浮き上がったのでした。
改めて、大自然のすごさを目の当たりにしました。
そして、1時間かけて砂浜の海岸まで打ち上がっては戻りながら崩壊して行きました。

昼頃になると、風はかなり収まりこれで生き延びれると安堵しました。
そして、家が倒壊した辺りの砂浜を見てみると日本食の備品が散在していました。
ほとんどは、使い物にならなかったのですが、その中に永谷園のお茶づけを発見!!
当然ヨレヨレになっており、これもダメかと思いつつ一個開封すると・・・
なんと半日以上波に揉まれながらも中身は大丈夫だったんですよ。
さすが、メイドインジャパン、感動しました。

後に話を聞くと、普段来ないサイクロンが、10年に1回、
異常気象(エルニーニョ現象)の影響で進路をかえるため、直撃するらしいのです。
不運にもそれに遭遇してしまったのでした。
前夜、地元ラジオから情報を得ていたので、避難準備はしていましたが、
さて、どこに逃げるの?という環境なので、
(昔はヤシの木に子供をくくりつけて難を逃れたという逸話があるそうです)
「状況を見て判断しよう」となり、部屋で寝ていたらこんな目に・・・
以来、海上生活には終止符を打ち、陸上での生活に変わりました。
(まだ早死にしたくなかったので)
この時、巨大マンタの写真も海へと消えていきました。
大自然は真珠という恩恵も与えてくれるし、逆に、試練も与えてくれるのですね。
施設は壊れましたが、幸いにも真珠貝に被害は少なく、
1ヵ月後、奇跡的に仕事再開を果たしました。

田内

写真1:昔住んでいた海上生活はこんな感じ。

写真2:避難先の住居はこんな感じ。外壁はベニヤ、屋根はトタン。

写真3、4:災害後でも、常に明るい村の子供達。