前回(番外編1)元仲間6人の声を聞くことができたのは、
本当に嬉しい偶然でした。
しかし、それ以外にもまだ消息を知らない元仲間の事を考えていると、
つい2週間程前に二つ目の不思議な出来事がありました。
それは、突然のメールがきっかけだったのでした。

その内容は、災害編 の子供の写真を見て、
「あれは○○○○島の小学校でしょう!私も住んでいました」
というコメントでした。投稿した私も忘れていた事をズバリと指摘して頂きました。
そう、メールの人もその島にいた同業の日本人(真珠の職人さん)だったのでした。
(滞在時期がずれていたので面識はありません)
当時、タヒチ全域で働いている同業種の日本人は恐らく100人以下だったはず。
その中で、同じ島で働いていた日本人からメールが届くなんて書いた私がビックリでした。
しかも、タヒチと無関係な不妊鍼灸院の暇つぶしブログを見つけて連絡して下さるなんて、
まさに奇跡のような話ですよね。
その後、メールで何度かやり取りさせて頂いてさらに驚いたのは、
私の元仲間の消息もよくご存知で、ライバルM君始め、 番外編1 の時に
声を聞けなかった人達の消息を知る事ができたのでした。

再び、願いは通じるんですね~。

そして、元仲間の消息は・・・
タヒチに残って違う職についている者、
日本で家業を引継いでいる者、
そして、私の同期でありライバルでもあったM君は・・・
○○○○○島で今もタヒチアンの奥さんと幸せに暮しているとの事でした。
良かった、本当に良かった。
M君、もし、大村院長とタヒチ行脚できる日が来たら、挨拶しにいきますね。

田内

前回の写真はタヒチに染まる前、今回はタヒチにどっぷり染まった後。
この頃は、「郷に入れば郷に従え」を実践していた。
船の舳先でヤシの葉帽子と弾けないウクレレを持ってポーズ。